僕が僕であるために

都内の私立大学に通う大学生。尾崎豊をきっかけにブログ開設。他にも興味のあることについて不定期で更新していきます。

尾崎豊と境界性パーソナリティー障害(BPD)

 

尾崎豊は、生前、境界性パーソナリティー障害(以下BPD)だったと言われている。

彼のプライベートと楽曲の両方においてBPDの特徴が顕著にみられるのである。

 

私は、学生の時尾崎豊の歌詞に感銘を受けて以来ずっと彼からは大きな影響を受けてきた(そのことの善悪は今は考えない)。

ただ、彼がどの時期にどの楽曲をつくったか、ひとつひとつの歌詞の背景には何があったのかといったことはあまり調べたり考えたりしていなかった。

それは、彼の苦しみを理解したくないという無意識の逃避があった可能性もある。

ともかく、最近になって尾崎豊の人生と作品とを照らし合わせて考えるようになったのだが、

尾崎の歌を考えるにあたって彼がBPDであったということを知り、その事実とは正面から向き合う必要があると感じたので、事実関係や自分の考えを整理するためにもブログを開設して言語化してみようと思っている。

 

そもそも、境界性パーソナリティー障害とは?

まず、今回のテーマ、境界性パーソナリティー障害について簡単に説明しようと思う。専門の精神科医の先生が出版されている本などを参考に特徴や発症原因について簡単に触れる。

 

もし、詳細が気になる方がいれば私が参考にした以下の本を参照願いたい。

 

 

 

英語名はBorderline Personality Disorderである。その頭文字をとったBPDやボーダーと呼ばれることも多い。

パーソナリティ障害の定義

BPDについて語るならそもそもパーソナリティー障害の定義を確認したいところだ。近年徐々に知られるようになってきたとはいえ、偏見や誤った情報も多く我々一般人にはまだまだよくわからないのが現状である。

厚生労働省によるパーソナリティー障害の定義を見てみよう。

パーソナリティ障害は、大多数の人とは違う反応や行動をすることで本人が苦しんでいたり、周りが困っているケースに診断される精神疾患です。認知(ものの捉え方や考え方)や感情、衝動コントロール、対人関係といった広い範囲のパーソナリティ機能の偏りから障害(問題)が生じるものです。

次に、WHOなどでも採用されているICD-10の定義はこうだ。

その人の属する文化から期待されるものより著しく偏った内的体験および行動の持続的パターンであり、ほかの精神障害に由来しないものである。

簡単に言えば「日常生活に影響を及ぼすレベルのパーソナリティー(性格)の偏り」といえるだろう。

種類は全部で10あるが以下のような特徴が共通してみられる。

  • 遅くとも思春期から成人ごろまでには兆候がみられる。
  • 他人と継続的に上手にかかわれない。
  • 遺伝、環境の相互作用によって発症する。
  • 自分自身のイメージが安定せず、ありのままの自分を愛せない(自己愛が成熟していない)

境界性パーソナリティー障害の特徴

その中で、BPDは見捨てられ不安に起因する自殺未遂などの異常行動が特徴のパーソナリティ障害といえる。神経症統合失調症の境界線、ボーダーライン上にあるということでこの名前が付けられた。

親からの虐待や親との離別など、幼児期の体験が発症に影響すると言われている。

孤独になることをひどく恐れ、他人を極端に理想化したり急に失望して急に怒り出すなど安定した関係が気づけない。このような不安定さがBPDの人には、随所にみられる。自己像や気分も安定せず、衝動的な行動をとってしまうのである。

自殺をほのめかしたり、リストカットのような自傷行為も頻繁にみられるが、これは実際は死ぬことを意識しているのではなく、彼らにとっては見捨てられるないための必死の努力なのである。

尾崎豊は、音楽にそのBPD由来の愛の渇望をまさしく命がけで表現したことに偉大さや独自性があり、いまだに多くの新規ファンを獲得し続けているといえる。これは、太宰治などとともにBPDの光の面といえるだろう。

 

尾崎豊がBPDだったとされる根拠

①日常のエピソード

尾崎は、繊細であったがゆえに日常生活で数多くトラブルを抱えていた。

幼少期のエピソード

尾崎豊が自らの体験談をつづった私小説「雨の中の軌跡」では暗くなっても電気をつけずに母が仕事から帰ってくるのを待つ描写がある。実際、当時にしては珍しく共働きだった尾崎の家庭では、彼は一人で待たされることが多かったという。このような尾崎の体験がのちのパーソナリティーの形成に大きな影響を及ぼした可能性がある。

見捨てられ不安

幻冬舎の社長・見城徹氏によれば尾崎は見城氏にツアーすべてに来るよう求めたようだ。愛が自分に向くことだけを求めるBPDらしい行動である。また、リストカットや自殺未遂も起こしている。

不安定な対人関係

 尾崎は妻の不倫を疑い、部屋に閉じ込めて自分の名前をノートに永遠に書かせていたという。

また、人気絶頂期に無期限の活動休止宣言をするなど、行動が不安定だった。

衝動的な行動

覚せい剤使用で逮捕されたことは広く知られており、他にもよく酒を暴飲していたなど衝動的な行動が目立つ。

傷つきやすさ

感受性が豊かともいえる。音楽界の人間に、自分は金もうけのための道具のように扱われていると感じ、傷ついていたという。実際、事務所を転々としている。

顔つき

尾崎のライブ映像を見ると端正な顔立ちであるのだが、どこか切なさがあり母性本能をくすぐられる。実際、BPDの人の弱々しさというのは非常に魅力的であるという。

 

②歌詞

尾崎の歌詞は非常に特徴的で、デビュー時からラストアルバムまでそのテーマは一貫しているように思う。

 

キーワードは「愛」「自由」「孤独」「真実」。

 

これらの単語は尾崎の歌詞に頻繁に登場する。裏切りのない二人きりの幻想的な愛の世界を常に求め続け、それをストレートに表現した。

これが、当時、管理教育への移行を試みていた大人たちへの反発心を持っていた若者の心に突き刺さった。

「15の夜」にみられる暴力的な表現も「自由になれた気がした15の夜」のように、「盗んだバイクで走り出す」だけでは表面的な解決にしかならないと分かっている虚しさを表現しているという解釈が一般的である。

 

 少し話がそれてしまったが、尾崎の歌詞にみられるBPDの要素を確認してみたい。

尾崎の歌にしばしば現れる二人きりの世界。

相手の愛が自分にのみ向かう世界。

それは、すべてを共有していきる「共依存の世界」といえる。

これは、BPD特有のもので彼の行動にも多く見られたが、歌詞でも確認できる。

 

 

いくつか、下に例を挙げる。

幸せかい 狂った街では
二人のこの愛さえ うつろい踏みにじられる(forget-me-not)

ベッドの中で夢見る 何時しか二人の心
優しくなれると胸の傷みをこらえながら
寝息をたてて眠る君の頬に優しく愛しくくちづけて
髪を撫でるとぼんやりと僕を見つめて
こう聞く「ねぇこれでいいの・・・・・・」
見つめていて 僕だけのこと(黄昏ゆく街で)

何ひとつ確かなものなどないと叫ぶ
足りないものがあるそれが俺の心
満たされないものがあるそれが人の心
押されて流され愛は計られるlove way(Love way)

 Love way には彼の心の空虚感が見られる。

 

 

儲け合ったやつらとも 今じゃ遠い縁になってさ
色々覚えたよ上手くはめられたのは誰
ヤキが回ったぜ おまえも俺も
どうなって行くのかどうすりゃいいのか
ああ 用心にこした事はねぇ
もう誰も信じやしないと よくある事さ
あんたも同じ傷みを背負ってたってね
結局はビジネスさ(red shoes story)

この曲は、尾崎自身の体験をもとに猜疑心が歌われている。

 

また、精神医学的には尾崎は「母」を求めていたといえるだろう。

幼少期、彼は母の愛を待ち続けていて、歌詞には「人生は孤独である」という態度がみられる。

これは子供のころ十分に愛のタンクを満たせなかったことに起因すると考えられる。

上手な愛され方を覚えられずにいたため、大人になってからどれだけ愛されたとしても常に裏切りを恐れ、10人と同時に交際する、有名女優と不倫するといったことをしてしまったのではないだろうか。

シェリー 優しく俺をしかってくれ
そして強く抱きしめておくれ
おまえの愛が すべてを包むから(シェリー)

僕はたった一人だ 僕は誰も知らない
誰も知らない僕がいる(太陽の瞳)

 

最後に

尾崎豊がほぼ間違いなくBPDであったと分かっていただけたと思う。

この事実に向き合って作品を考えることは、尾崎が作品をつくるうえでの考え方や彼の苦悩を理解するためには不可欠である。

まだ人生経験が少なく社会に出たこともない自分だが、尾崎が達成できなかった生き続けるということ、彼が伝えたかったことを理解しようとする努力は続けていきたいと思う。

一曲一曲ピックアップして詳しく考え、記録していくことも時間があったらしていきたい。

尾崎の歌を受け止め、夢を持って生き続けることが、彼がファンに一番求めていることだと思う。

「みんな、一緒に頑張ろうね」

尾崎のライブでのこの発言を胸に僕は生き続ける(=勝ち続ける)。